ドラゴンはまだ眠らない

「大いなる声」にインスパイアされて書かれた預言書

承認欲求

ある時俺は承認欲求を捨てた。なぜなら、承認欲求が全てなく通の源だと思ったからである。承認欲求を捨てたとき、いろんなことが楽になった。よくわからないことで腹が立つこともなくなったし、自分のプライドなどと言うわけのわからないものにこだわることもなくなった。自分の地位が脅かされると思った時に相手を攻撃する必要もなくなり、その争いのために身を滅ぼすこともなくなった。ただ、目の前にあるものをありがたいと感じ、いつも前向きな気持ちでいる、つもりだった。

だが、この虚しさは何だろうか。やはり人間は、誰かに承認されなければ幸せを感じられず、感動を覚えることもできないのである。何かをやり遂げたときの感動は、つまり誰かの承認を得るに値する自分を確認できた時であり、その時こそ本当の喜びがある。本来は自分で自分を認められた時こそそう言う喜びを感じられるようにならなければならないのだろう。それこそが本当の独立した人間だ。でもどうやら俺はそこまで達観した人間ではないらしい。やはり自分にはまだまだ自信がなく、ときには人に褒められたい。それは人間が人間たる渇望ではないだろうか。今COVID-19のせいで、人との出会いが極端に少なくなってくる。当然違いを認め合う機会も少なく、日々会っているのは利害関係に縛られた仕事の仲間のみ。毎回限られた同じメンバー。あまり大きな刺激は無いかもしれない。

でもそれはたいていの人が感じている事だ。たとえ、僕は人と一生会わなくても生きていけると言う人がいたとしても、自分もそうなりたいとは不思議と思わない。やはりどこかで空を破って出て行くべきなのだ。

#承認欲求