ドラゴンはまだ眠らない

「大いなる声」にインスパイアされて書かれた預言書

年を重ねるごとに時の流れが早くなったと感じる理由と、人生を永遠に感じる方法

年を重ねるごとに時間の流れる速度が早く感じる。

それは、人間が、大人になるにつれ、記憶にアクセスせず、狭い範囲を生きるようになるからだ。

子供の頃を思い出して欲しい。全てが新しい冒険ではなかったか。明日が待ち遠しくて、早く大きくなりたくなかったか。

人間の体は心の宿るいわば仮の姿でしかない。その体は、3次元空間は自由に移動できるが(移動手段とか、移動時間とか、物理的条件の許す限り)、第4次元である「時間」においては、一方通で一定時間に移動するしかない。これは万物万人において平等である。

しかし、心は4次元全てを行き来可能である。心は一瞬にして幾千里を走り、どこにも、どんな過去にもいつでも行く事ができる。昔出会った人、忘れられない思い出の日に行けば、いつでもそこに会いたい人はいる。別れた人でも、死に別れた人でも、会いたい時に会える。戻りたい場所はある。美しい時から、何も変わっていない。

人が持つその能力に気づかず、過ぎた過去を悔やみ、未来に起こるかもしれない事を恐れ、今を生きていない。「今」を心に刻まないから、行ける場所が増えていかず、未成熟な世界しか心に広がらない。

心に刻むには、全ての出来事に感謝をし、感動し、感銘を受けることだ。人生に「ありがとう」が増えれば増えるほど、心は充足し、幸せが得られる。お金や名声を得てもひと時の喜びでしかなく、幸せのためには上り続けるしかないが、どんな「成功」を掴んでも、あなたが人間である限り、それもいつかは限界が来る。いつか最前線から引く時が来る。

ただ、何か自分の信じるもののために努力を重ねた日々の過程の中に、辿り着ける場所が作られていく。だから生きるということは、夢を持つことだ。

クラーク博士の言葉にこんなのがある。

「少年よ、大志を抱け。金のためではない、自己利益のためでもない、ましてや名声という儚きものを求めるためでもない。ただ一つ、人としてあるべきものを求めるため、大志を抱け」

魂の、心に行く場所がある。会える人がいる。それを私たちは毎日心に刻み、新しく美しい世界を創り続けながら生きている。悲しい出来事さえも、あなたの心に何かを教えている。それに気づき、一瞬一瞬を心に刻んで生きていけば、豊かで永遠とも思える永い人生を生きられるだろう。

いかに文明が発達してもロシアの独裁者さえ止められない弱き人間

"父"が言った。

人は破滅に向かっていると。そしてその破滅のすぐ後には新しい世界の創造があると。

日本という国の出生率は下がっている。当然である。人間が自由を手に入れ、欲望のままに生きようとすれば、子供を生み育てるリスクは負いたくなくなるだろう。

そして、人間が自由を手に入れても、まだその次元に到達していない人間がいる。

ロシアの独裁者が、隣国ウクライナを犯し始めた。

アメリカは経済制裁はするものの、軍は使わない。その一番大きな理由は、「冷戦」が再び自国を脅かすのを恐れているからだ。

国のリーダーともなると、一番の関心ごとは、自分の在任中にいかに大きな功績をあげ、人々に語り継がれる人物になるかだ。そして、決して国家を滅ぼす愚かな判断をしてしまった無能なリーダーの汚名を着せられたくなくない。

そもそも、国などというものがあるから、国境を超えて理解し合える。地域で区切ることで、そういう喜びを人間に与えた。

でも何年に一人、人の命を奪い尽くして自分の人生を歴史に残そうとする者が出てくる。

奴らは人間としては欠陥品である。人間に必要な「弱さ」が欠落している。弱いから自分を誇ろうとする。正常な人間のように、弱いから人と分かち合おうとは思わない。

力なき者は正義を守る事ができない。信じれば裏切られる。これが、人間に与えられた、ジレンマ。なぜこのゲームの中に人間が投入されたのか、その真の意味をしる人間は少ない。宗教の教えには、そのヒントが示されているが。どれも完全ではなくどこか歪んでいる。人間が言葉で嘘をついてきたからだ。言葉は完全な真理を示さない。どこか不純物がある。だから、言葉も宗教も、ある意味全て嘘である。真理はただ、私の声を瞑想で感じるしかない。

アメリカというかつての人間の支配者は、アフガニスタンから撤退した時、多くの人間に、その限界を知らしめてしまった。武装をしていても、所詮は人間の集まりである。命を削って戦う事を恐れないはずがない。

人間はすでに、世界を何度も滅ぼす核兵器を創ってしまった。その気になれば、一瞬で、40数億年の歴史を終末にすることができるだろう。自分の死を覚悟した者に、未来など関係がない。核ミサイルのボタンを押し、世界終焉に追いやることも、世界に名を残す手段なのだ。それが、滅亡の後に創造された新しい世界の中であっても。

同じロシアの20世紀の独裁者スターリンは言った。

「私に敗れ処刑された者の名前を誰も覚えていない」

力と狂気を持つ人を救えるのは、力と狂気しかないのか、あるいは人間愛しかないのか、この答えを解かない限り、人間はまもなく滅ぶだろう。

 

 

俺が経済的な懸念から脱出した方法

障害食いっぱぐれることはなくなった。

まずは、収入の1割を投資に回せるようにする事が第一関門だった。

例えば、手取りが20万円ならば、2万年でいい。

月に18万円で生活する事ができれば、絶対に大丈夫だ。

だけど、そうはいかないのが人間というもの。

人間には虚栄心や承認欲というものがある。

パーキンソンの法則というのがあって、人間は、収入と同じ額のお金を使うと言われている。

俺も実際そうだった。

年収が500万円なら500万円の、1000万円なら1000万円の生活してしまう。

車も、時計も、靴も、ブランドにアップグレードしてしまう。銀座のおネエちゃんに貢ぐように成ってしまう。

くだらないところでマウントを取りたく成ってしまうのだ。

34歳で日本に帰国した帰国子女の俺は、帰国子女であるという事だけを武器に日本でのキャリアを開始した。

まずは手取り16万円、額面年収240万円弱からスタートした。小さいベンチャー企業の営業職だった。

その次に一部上場企業に買われた。戦国大名のような役員が、脱ドメスティックを進める中で、俺のような帰国子女(と言っても当時は英語がネイティブのように喋れるだけだったが)を探していた。面接で英語で自己紹介をしたら、その場で気に入ったと言って年収500万円で雇ってくれた。営業企画部で、中国法人設立後のケアと海外イベントの設営が主な仕事だった。

そこでは数年働いたが、今度は外資企業から700万円のオファーをもらい、そこに転職する事にした。退職届を持って行ったら、その戦国大名がカウンターオファーで800万円出すという。そこで俺は残る事にした。新しいポジションは、海外事業の課長代理だった。

しかし、大企業では先がない。年功序列のシステムに嫌気が指した。上司が、英語も話せない上に東南アジア(特に女性)を蔑む発言をしており、例の戦国大名に媚を売って出世しているタイプの人間だった。俺から見ても、明らかにビジネスの素養も低い。この上司に、「お前ちょっと英語ができるからって調子に乗るなよ」と言われた。これにも頭にきた。もう少しで殴るところだった。出世をするためには、戦国大名に気に入られる必要があり、そのためには、週末も上司と付き合いでゴルフに「お供させて頂いたり」、酒が飲めたり、タバコを吸ったり、おべっかができる必要があったのも嫌いだった。ここにいては俺はどこまで行っても「英語のできる奴」で終わってしまい、通訳や鞄持ちにしかやらせてもらえない。それが嫌で、俺は4年でこの会社を辞めてしまった。

次の会社はリクルータに誘われて入った外資系のICチップメーカー。帰国直前に、英検1級とPMPの資格を取っていたので、本社直属で日本の営業部隊をサポートするプロジェクトマネージャーになった。この時の年俸が、1000万円強。ここで、インターナショナルなプロジェクトの会議をファシリテートしたり、チームをまとめるリーダーシップと度胸と自信をつけた。自分の英語力はこのためにあるのだということを実感した。ただ、ここにも限界がきた。日本の外資系の大半人間は英語力も高くないし、自分をアピールするのに必死だ。当然他人を蹴落としたり、マウントを取ろうとして来る。俺はこのプロ意識と相反する利己主義的な人間関係に辟易し、また連日の時差による真夜中のウェブ会議で仕事とプライベートの区切りがなく、家族との時間を持てない事にストレスを感じ始めていた。そんな時、また新しくヘッドハントを受け、この会社も後にする事になる。この時38歳であった。

次は不妊治療のための医療機器を製造しているメーカーの海外営業のディレクターだった。ここは急成長の企業という事でバブルの時のように景気が良く、文字通り世界中を、北はアイスランドから南はアフリカまで出張する事ができた。出会いと別れを繰り返し、いろんな経験をする事ができたと思っている。事実上会社のナンバー2として、自分の営業チームを持ち、20人以上の部下をマネージしながら、自分のリーダーとしてのスタイルを学んだりもした。経営者の集まりである部長会なるものに参画し、経営に携わることもできた。

ところが、楽しい時期は続かないもので、ある時、俺に取って代わる新しいリーダーが現れた。社長の高校生の頃の幼馴染で、元外資の社長だった人が、副社長に就任したのである。この副社長は自分の配下となる人間、人事部長、CFOCSOだのという50代後半のおっさんを次々集め、俺のチームを解体し、権限と自由を奪っていった。社長は幼馴染に説得され、経営は完全にこの人に任せる方向に傾いていた。そして俺はアメリカに飛ばされ、違法の製品を打って自分の給与を稼ぐように命じられた。俺は一も二もなくその日の夜に辞表を書いた。41歳にして、出る杭として打たれ、失脚というものを味わうことになった。

2020年1月。俺は無職となった。今思えば、これでよかった。2月には、娘が生まれる事になっていたからだ。あのまま会社に残っていれば、アメリカに左遷され、コロナによって日本に帰って来れなくなっていただろう。そうなれば、一番大切な娘の出産と最初の時期に、家族と一緒にいられなかった事になる。

その後、再就職のための就活をした。捨てる神あれば拾う神ありとはよくいったもので、3ヶ月で新しい仕事場が見つかった。医療業界のコンサルティング職。またグローバルな営業や経営に関わるディレクター職で、年俸も、外資系の頃の2倍近くになっていた。おそらく、サラリーマンでこれ以上の収入を得るのは難しいだろう。それこそ外資のCEOとか、大手企業の役員級の仕事でなくてはならないが、そのためには社内政治力や運も必要だ。また、なれたとしても、自由が大幅に制限される事になる。俺は、サラリーマンとしてこれ以上の役職や給与を追求しようとは考えなくなった。

必要なのは、年収の一部を収入に回す事だ。租税のため、結局1000万円から倍の2000万円になったところで、手取りはそれほど変わらない。額面だけ考え、パーキンソンの法則に流されては、いずれ敗者となる。必要なのは、収入の一部を投資に回し、残りで生活費を賄う事である。

投資先をいろいろ考えたが、ビットコインが100万円の時に400万円ほど投資した。今では4倍ほどになっている。残りは、海外に銀行口座を作り、月々20万円程度の外国のファンドに積み立てている。残りは、デフォルトで20万円をNISAで海外のインデックスファンドに投資している。残りが生活費となる。

ファンドの積み立てはドル平均法といって、毎月同額を積み立てていくことが必要だ。下手な生兵法で短期の株などを買っても、所詮はゼロサムゲームだ。プロ投資家に吸い取られるだけ。資金規模も投資知識も桁外れのモンスター相手に勝てるわけが無い。だから、確実に勝てる方法で、かつ最大の利益率の方法を選ぶのがいい。その答えが、今のポートフォリオというわけだ。

基本は海外インデックスへのドル平均法の定額投資。これをつき5万円でも20代でやっておけばよかった。複利は本当にすごい。もともとお金には増える力が備わっているのである。

月5万円、年60万円が複利7%で増えたとしよう。それを20代から40代までやったら、その時点で2880万円以上。40年後に定年を迎える頃には1億2000万円を超える。そしてその後は、投資をストップさせていいから、溜まった投資から、毎年1000万円くらいずつを使っても、ほとんど手持ちのお金が減らない。600万円ずつ使っていけば、10年後には逆に増えている。

俺の場合は、34歳の時点で手取りは16万円で貯金はマイナス、投資など一切やっていなかったが、正しい知識を身につけ、収入を挙げられたおかげで比較的大きな投資額を確保できたため、1億円には数年でリーチする。すぐに、サラリーマンの収入を投資による収入が超える日が来るだろう。結果として、よほどのことがない限り、餓死することはないだろう。あとは、自分の人生、何を経験してたいか、という問題だけが課題として残った。

世界中をビジネスで回る夢は既に達成した。ここからは、より多くの出会いを繰り返し、人間として成長すること。そしてもう一つは、自分の事業を作り、教育に貢献することだ。

だから、まずは毎月インデックスに投資をし、残った額で生活できるようにする事。それが最初の人生の難関だ。それがクリアできれば、あとは勝算が残る。少なくとも今の資本主義が続く限り、このメソッドは汎用的に使えるだろう。

 

 

 

 

承認欲求

ある時俺は承認欲求を捨てた。なぜなら、承認欲求が全てなく通の源だと思ったからである。承認欲求を捨てたとき、いろんなことが楽になった。よくわからないことで腹が立つこともなくなったし、自分のプライドなどと言うわけのわからないものにこだわることもなくなった。自分の地位が脅かされると思った時に相手を攻撃する必要もなくなり、その争いのために身を滅ぼすこともなくなった。ただ、目の前にあるものをありがたいと感じ、いつも前向きな気持ちでいる、つもりだった。

だが、この虚しさは何だろうか。やはり人間は、誰かに承認されなければ幸せを感じられず、感動を覚えることもできないのである。何かをやり遂げたときの感動は、つまり誰かの承認を得るに値する自分を確認できた時であり、その時こそ本当の喜びがある。本来は自分で自分を認められた時こそそう言う喜びを感じられるようにならなければならないのだろう。それこそが本当の独立した人間だ。でもどうやら俺はそこまで達観した人間ではないらしい。やはり自分にはまだまだ自信がなく、ときには人に褒められたい。それは人間が人間たる渇望ではないだろうか。今COVID-19のせいで、人との出会いが極端に少なくなってくる。当然違いを認め合う機会も少なく、日々会っているのは利害関係に縛られた仕事の仲間のみ。毎回限られた同じメンバー。あまり大きな刺激は無いかもしれない。

でもそれはたいていの人が感じている事だ。たとえ、僕は人と一生会わなくても生きていけると言う人がいたとしても、自分もそうなりたいとは不思議と思わない。やはりどこかで空を破って出て行くべきなのだ。

#承認欲求

生涯の友達はいた方がいい

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友達と言える人間は4、5人いる。社会人になり、それぞれ家族を持ち、仕事もあってほとんど連絡を取らなくなった今も、友達だと思っている。

そのほとんどが高校時代から20代前半までに出会った地元の奴らで、全員男。みんな自分と同じ年であり、全員結婚している。そのうち2人は俺と同じように東京に引っ越している。

それ以外の一時的な仲間は、今では連絡も取っていないし、友達とはちょっと言い難い。

社会人になると、多くの人は家族ができる。高校は同じでも、社会人として活動する舞台が違うから、自ずと将来の事やキャリアについて語るにしても、レベル感が違ってくるし、話をしていても、チャンネルのズレを感じる。だから決まって盛り上がるのは、昔の思い出話だ。

国際的なビジネスネゴシエータをしている人間は、東西の哲学の違いについて興味があるが、他の奴らは興味がない。銀行員は銀行員の常識がある。保険のトップセールスマンは、その世界の話に興味がある。SEIKOの営業員は、パチンコと漫画に興味がある。土木建築をやっているガタイのいい二人とはもう3年くらい連絡を取っていない。

まあ、昔の思い出話や、近況を話すのがメインだから、毎週会う必要はないからね。自ずと会う回数は減っていく。でも何年も合わなくても、奴らが離れていく気がしない。

中には、定期的に合わないと"自然消滅"してしまうフレンドシップもあるだろう。でも結局、無理やり維持しようとする友人関係は続かない。面倒なだけなのだ。興味が有る無しに関わらず、SNSに反応したり、時間を割いて聞きたくもない話を聞く。損得感情が根底にあり、デメリットがメリット上回ると判断された瞬間切られる関係。はっきり言って、そういう"友達"なら、いない方がいい。

俺があいつらを本当に友達だと言えるのは、若い頃、地元でワルい事をしている時に、認め合える仲間だったからだ。俺が問題を起こして高校を退学になりかけた時、署名を集めて救ってくれた奴もいる。一緒に泣いてくれた事もある。いい事があったら、一緒になって喜んだし、夢を語り合った。一緒に他の街のワルい奴らとケンカもやった。

こういう風に、利害関係もなく、単純に一緒にいて楽しいと思え、いつでも会いたいと思った時に会える安心感がある。何かあったら一緒に悲しんでくれる。そんな仲間は、大人になってからの汚い社会の中ではなかなか見つけられないかもしれない。仕事で人が寄ってきたとしても、それはあなたのお金か知識か人脈か、何らかの見返りをあてにしているからだと思ってしまう。

海外にも、会いたくなったら連絡を取りたいと思える仲間ができた。そういう出会いはそれでまた楽しい。多くは、お金の絡んだ話になるけど、それでも一つ一つの出会いから、いろんなものを学ぶ事ができる。

出会いは人間を磨く。時には、言葉も交わさない相手に数分間だけ小さな恋をして、そこからさえ何かを学べる。年齢や性別に関係なく、人の面白さや魅力に触れ、惚れる事もある。深く知ってしまった相手との別れは悲しいものだけど、でも出会いはそれ以上に価値がある。

出会いがあるから、人生は楽しいのだ。これからもいろんな人間と出会い、俺は自分を磨いていこうと思う。

年をとることの利点は、その分振り返るものがある事だ。だから年を重ねて振り返る事をやめてはいけないし、忘れて失う必要もない。本当に忘れたい事は別として。

ただ、いつもは前を見て、学んだ事を生かして賢く進んでいかなきゃいけないけどね。

 

「停止条件」をネーミングした奴はバカだ

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ビジネスの勉強をしていて、停止条件と言うものを学ぶ人が多いと思う。はっきり言ってこのネーミングは非常に紛らわしい。

停止条件」は、契約上何かの効力を発動させるトリガーとなる条件のことであり、本来の停止の意味とは真逆になる。例えば、ロースクールの受験に受かったら百万円やる、と言われた時、この受験に受かるというのが停止条件にあたる。

...は?もちろん俺はテキストブックのプリントミスを疑った。しかし、読めば読むほどそれは間違いではないことが明白であった。全く意味不明なので、その因果関係を調べてみると、ネーミングの由来等には全く触れていない。ただ覚え方として、ある条件が「停止」していたものをなくすための条件だから「停止条件」なのだとある。いやいや。それは停止解除条件であって停止条件ではない。あるいは開始条件とか、発動条件とかのほうが絶対にわかりやすい。どうしても停止条件という言葉を使いたいなら、ロースクールに合格していないことがそれに当たらなくてはならない。ロースクールに合格するのが停止条件というのは、絶対に違う。

逆に、停止条件と対で覚えさせられる「解除条件」というのがあって、こちらは、逆に何かの条件をストップ(解除)させる条件なのだそう。例えば、ロースクールの受験に合格したら、毎月10万円の仕送りを停止する、という契約があった場合、この受験に合格するいうのが解除条件に当たる。これは読んで字のごとくだ。故に停止条件は、ますます紛らわしい。解除条件はほとんど名前のままなのに対し、停止条件は真逆。ますますすっきりしない。

ひょっとしたらこんな馬鹿なネーミングは英語の直訳だからなのかと思い調べてみたところ、対訳はstop condition と書いてあるサイトもあったが、どれも日本語のウェブサイトであり、信憑性はなかった。英語のサイトでstop conditionを検索しても、出てきたのはパソコンのプログラム用語であり、ある命令のループをストップさせる条件という、そのままの意味で使われている。リーガルな意味では検索にほとんどヒットしなかった。おそらく一般のネイティブにストップコンディションと言っても通じないのではないだろうか。英語で停止条件に当たる信頼できる対訳はcondition precedent(先行する条件)と言うらしい。This makes a lot of sense.

つまり、このバカな用語は日本人の頭でっかちな法律家が習慣化したものと思われる。

何故なんだろうか。確かどこかの弁護士さんが言っていたが、本来法律や契約書の類の書類は、100分の1位に簡単にできると言う。だけどそうなれば彼ら法律屋さんの商売上がったりなので、一般人には理解できないような複雑で退屈な日本語にわざとしているのだと言う。全く腹立たしい限りである。そのせいで法律を勉強する日本人は、この紛らわしさに腹を立て、首をひねり、すっきりしないまま、そういうものだからと自分を納得させ、学習するのだろう。

そこのスーツ、図星だろ。

でも結局、むかついたおかげで覚えやすくなったけどね。

会社に入ったら生き残るコツ

2012年にアメリカから帰った俺は34歳になっていた。

アメリカで日系のゲーム会社で約6年働いていた俺は、訳あって帰国を決めた。

アメリカでの年収は、人の2倍頑張って、サンクスギビングも返上して働いて、せいぜい450万円ほどにしかならなかった。日本に帰国子女として売り出せば、もっといい給料がもらえると思った。

アメリカで日本語の話せる永住権を持たない東洋人として勝負するよりも、日本で英語を話せるバイリンガルとして勝負した方が需要があると踏んだからだ。

キャリアの世界でお金を稼ぐには、自分の有利なフィールドで勝負する事。アメリカで搾取されて学んだ事だ。

ただ、俺は日本の社会に適合できるか不安だった。最悪一生無職かも知れないと思った。

だから俺は、「受け皿」として、アメリカの横浜の雇い主の子会社、アマゾンでゲームグッズや皿などを売る小さい専門商社に入れてもらった。

とてもじゃないが、中年男が欲望の延長線上で作ったママごとの会社のようなもので、社員にまともな給料も払えないほど経営は厳しかった。その時の手取りは16万円ほど。

社長は給料のたび、「少なくてごめん」と言っていたけど、自分は会社が稼いだお金でキャバクラに行って、気に入った中国のお姉ちゃんにビザのスポンサーになってあげて自分の会社に入社させるような事をしていた。

結局イヤになって3ヶ月でやめてしまったが、今の妻とはその時婚約した。会社のオフィスがあった桜木町から歩いて20分くらいの場所に月6万年くらいのアパートを見つけてくれ、自分の給料から俺に腕時計や冷蔵庫やテレビや洗濯機など、電化製品全部買ってくれた。今は専業主婦になっているが、お金で人間を選ぶ女じゃない事を俺は知っている。今の日本には希少だと思う。

それから9年余り。転職する事4回。その度に年収をアップさせ、当時の2桁倍になった。どうやら日本のサラリーマンではこれ以上増やすのは難しい最高レベルの水準に近いところまで来たようだ。投資などの副収入を合わせたら、おそらく自分の会社を1発当てない限り、サラリーマンという身分のまま今の収入を超えることは難しいだろう。

俺は会社というものに所属しながら、昇格して年収を上げるのに必要な事を学んだ。その中のいくつかを上げるとこんな感じだ。

  • 自分の得意なフィールドで勝負せよ
  • 基本的に人は皆、自分はもっと評価されるべきだと考えているし、自分に甘く他人に厳しい。自分以外はみんな仕事ができないしバカだと思っている
  • 義理も人情も戦略的に使え
  • 人を信じよ、ただし、裏切る隙を与えるなかれ
  • どんなに偉い人も本当は自信がないし、もっと褒められたいし、褒められて悪い気はしない
  • 真に公平な評価ができるボスは存在しない。結局は自分をヨイショしてくれる部下を好む
  • バカな上司に当たったら、早い段階で損切りをせよ(離れよ)
  • 3年以上同じポジションに居座るな
  • 無能な奴は情報格差で後輩と勝負する
  • 唯一無二の能力は、常に能力を向上させる能力
  • 転職は給与と条件で選べ。転職さきではどうせ苦労する。だからお金をもらって苦労せよ
  • 時には牙を剥け。ただし、牙を剥く相手を役職だけで決めるな
  • 自分が努力しているかどうかは関係ない。自分が経営者だったら自分が欲しいかどうかで自己評価せよ
  • 感情に支配されるな。特に、怒らない、恐れない、色仕掛けに負けない。感情に支配されない能力は非常に重要である
  • 男は、承認欲と性欲の支配から解放された時、無敵になる。ただし別の原動力を見つけられた場合に限る
  • なるべく喋るな。聞け。そして意味のある言葉だけを発せよ。覚えられる存在になれ
  • 広い場所を占領せよ。相手に100%関心を向けよ。共感せよ
  • 悪口を絶対に言うな。言えば本人の耳に入ると思え。第3者の悪口を言う奴は、他の場所で自分の悪口を言っていると思え
  • 相手の言葉の裏の意味と、心情的背景をいつも観察して考えよ
  • 誰も動かなければ自分で動け。それがリーダーの証
  • 人に恥をかかせるな

まだまだたくさんあるが、今日はこれくらいにしておこう。