ドラゴンはまだ眠らない

「大いなる声」にインスパイアされて書かれた預言書

生涯の友達はいた方がいい

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友達と言える人間は4、5人いる。社会人になり、それぞれ家族を持ち、仕事もあってほとんど連絡を取らなくなった今も、友達だと思っている。

そのほとんどが高校時代から20代前半までに出会った地元の奴らで、全員男。みんな自分と同じ年であり、全員結婚している。そのうち2人は俺と同じように東京に引っ越している。

それ以外の一時的な仲間は、今では連絡も取っていないし、友達とはちょっと言い難い。

社会人になると、多くの人は家族ができる。高校は同じでも、社会人として活動する舞台が違うから、自ずと将来の事やキャリアについて語るにしても、レベル感が違ってくるし、話をしていても、チャンネルのズレを感じる。だから決まって盛り上がるのは、昔の思い出話だ。

国際的なビジネスネゴシエータをしている人間は、東西の哲学の違いについて興味があるが、他の奴らは興味がない。銀行員は銀行員の常識がある。保険のトップセールスマンは、その世界の話に興味がある。SEIKOの営業員は、パチンコと漫画に興味がある。土木建築をやっているガタイのいい二人とはもう3年くらい連絡を取っていない。

まあ、昔の思い出話や、近況を話すのがメインだから、毎週会う必要はないからね。自ずと会う回数は減っていく。でも何年も合わなくても、奴らが離れていく気がしない。

中には、定期的に合わないと"自然消滅"してしまうフレンドシップもあるだろう。でも結局、無理やり維持しようとする友人関係は続かない。面倒なだけなのだ。興味が有る無しに関わらず、SNSに反応したり、時間を割いて聞きたくもない話を聞く。損得感情が根底にあり、デメリットがメリット上回ると判断された瞬間切られる関係。はっきり言って、そういう"友達"なら、いない方がいい。

俺があいつらを本当に友達だと言えるのは、若い頃、地元でワルい事をしている時に、認め合える仲間だったからだ。俺が問題を起こして高校を退学になりかけた時、署名を集めて救ってくれた奴もいる。一緒に泣いてくれた事もある。いい事があったら、一緒になって喜んだし、夢を語り合った。一緒に他の街のワルい奴らとケンカもやった。

こういう風に、利害関係もなく、単純に一緒にいて楽しいと思え、いつでも会いたいと思った時に会える安心感がある。何かあったら一緒に悲しんでくれる。そんな仲間は、大人になってからの汚い社会の中ではなかなか見つけられないかもしれない。仕事で人が寄ってきたとしても、それはあなたのお金か知識か人脈か、何らかの見返りをあてにしているからだと思ってしまう。

海外にも、会いたくなったら連絡を取りたいと思える仲間ができた。そういう出会いはそれでまた楽しい。多くは、お金の絡んだ話になるけど、それでも一つ一つの出会いから、いろんなものを学ぶ事ができる。

出会いは人間を磨く。時には、言葉も交わさない相手に数分間だけ小さな恋をして、そこからさえ何かを学べる。年齢や性別に関係なく、人の面白さや魅力に触れ、惚れる事もある。深く知ってしまった相手との別れは悲しいものだけど、でも出会いはそれ以上に価値がある。

出会いがあるから、人生は楽しいのだ。これからもいろんな人間と出会い、俺は自分を磨いていこうと思う。

年をとることの利点は、その分振り返るものがある事だ。だから年を重ねて振り返る事をやめてはいけないし、忘れて失う必要もない。本当に忘れたい事は別として。

ただ、いつもは前を見て、学んだ事を生かして賢く進んでいかなきゃいけないけどね。